癌人体験記

7年間で大腸癌、食道癌、肺癌、前立腺癌、中咽頭癌、舌癌、6種類の原発性癌に罹った体験記

大腸がん その2〈 地域医療連携 〉

人体実験というと大袈裟ですが

家のすぐ近くに中核病院があるのは知っていましたが、私はそこへは行かずに敢えて、同じ地域内にある小さな病院を探すことにしました。いわゆる『かかりつけ医』的な病院です。紹介状もなく、いきなり大きな病院に行って、安いとは言えない初診料を払い、結構待たされて、たまたまその日担当の外来の先生に診てもらい『おばあちゃん、風邪ですね、薬出しときましょ。』みたいな話を聞いたことがあります。当時の私の症状では即入院で大きな手術になるだろうと素人ながら思っていたので、直接、中核病院に行ってもよかったのですが、『地域医療連携』というものをどうせなら私の身体でちょっと試してみようと思ったのです。小さな病院がここでは治療できないと判断した患者をどんな病院にバトンタッチするのか、私はHPを見てとりあえず、内視鏡カメラがある病院、誠実そうな病院、信頼できそうな病院、怖くなさそうな先生の病院など、独断と偏見で選び、近くの胃腸肛門科のクリニックに決めました。

 

初めての診察

病院の待合室にいきなり大腸のポスターが目に入りました。大きな腫瘍が大腸を塞いでいました。私もこんな風になっているのかなと怯えつつ、問診表を書きました。さほど待つこともなく、診察室に呼ばれました。感じのいい40代の先生とベテラン風の優しそうな看護師さんがいました。問診と診察ベッドに横になっての指診で、診察はすぐに終わりました。『えッ!これでもう終わり!?』と思っていたら先生から「午前中にちょっとした手術があるので、午後からまた来てもらえますか、内視鏡カメラで診たいので時間はありますか?」と言われました。その日私は、午後から大事な仕事が入っていたので、「夕方前になりますが、、、」「待ってます。」ということで、私は病院を出ました。

大腸がん その1〈 バナナ1本分になるまで 〉

  f:id:motchyboska0125:20180529191721j:plain  私が初めて癌になったのは

2011年、54歳の時でした。 開腹でS状結腸を25cm切りました。腸閉塞だったのですぐには手術ができず、半月以上の絶食で時間をかけ腸内を綺麗にしました。つまりワインのコルク栓のように大きな腫瘍が腸に栓をしていたので破裂寸前だったのです。破れると腹膜炎を起こして死んでいたかもしれません。ぎりぎりセーフの入院だったのです。どうしてそんなになるまで病院に行かなかったのか

 

症状と経緯     

1年程前、会社の健康診断があり、大腸の再検査になっていましたが、何の症状もなく仕事も忙しく、病院に行きませんでした。それからまた半年程経った頃から、便が細く下痢気味になり血便が出始めました。血便はケチャップのようでした。キレイな血ではなかったので痔ではないとわかりました。左の下腹がキリキリとした痛みもありましたが、元来、病院嫌いの私ですから『これくらいのことは、何でもない』ぐらいに軽視していました。するとある日、風呂上りに下腹を何となくさすっているとポコッとしたコブのような膨らみを感じました。それから食事をするたびにキリキリとした痛みが激しくなり、たちまちコブも2つになりました。便秘と下痢の繰り返しでした。

 

〈当時のメモより〉

「お腹が痛くて何もできない。本当にヤバいかもしれない。尿を出すときにも激痛が走る。痛みはあるが腹は減る。食べるとすぐに痛みがありコブが腫れていく。一日どれだけトイレに入ればいいのか。」

f:id:motchyboska0125:20180608021853j:plain   f:id:motchyboska0125:20180608021809j:plain 〈公園の公衆トイレ 親子で連れションだ!〉

 当時、仕事がとてつもなく忙しかったのですが、病院に行く時間がないわけでありませんでした。が、『この症状だときっと何か大きな病気だろうなぁ、怖いな。仕事はどうしよう、休めない。入院・手術はいくらかかるんだろう、お金がない。』などと、ズルズルしているうちに、日に日に左下腹のコブは大きくなり、小ぶりのバナナ1本ほどまでに腫れていました。痛みで5分も歩けず、蹲るようになりました。熱も39℃ほどになり、やっと症状の事や病院を調べてみようという気になりました。でもこの時点ではまだ、症状の事は妻には話していませんでした。

 

大きな勘違いでした

大腸の事を調べて“上行結腸・横行結腸・下行結腸・S状結腸 ”というコトバを知りました。色々調べて行くと「これはきっと癌だな!」と確信しました。何も知らない私は、「このバナナ1本のコブは大きな腫瘍なんだ!」と大きな勘違いもしていました。でも必死でした、死ぬほど悩みました。腫瘍が腸の栓となり、そこにウンチが押し寄せて来てバナナ1本分腫れていたのです。今ではお笑い話ですが。費用の事も何となくですが、“高額医療費控除”とか“限度額適用認定証”という制度がある事もとりあえず知りました。

 

よし、病院へ行こう!

は、「大腸がん」その2で。                                                   

はじめまして。

 f:id:motchyboska0125:20180526160516j:plain放射線治療最後の日の記念撮影。私のマスクを持って〉

 2人に1人が癌に罹り、その3人に1人が亡くなる今

私は、2011年から2018年(54歳から60歳)の7年間に5種類の癌に罹りました。大腸癌、食道癌×5ヶ所、肺癌、前立腺癌、中咽頭癌×2ヶ所。ほとんど毎年のように癌に罹りました。ギネスブック並みの癌疾患なのではないでしょうか。よくもまあこんなに癌に好かれたものだなぁと、今では、死に対する恐怖を超えて呆れて感心しています。しかも転移ではなく、すべてが原発性の癌。つまり「新規の癌」です。私の仕事ならこんなにも次々と「新規」のクライアントが決まるとうれしいのですが・・・また途中、声帯のポリープ切除、胆のうも摘出しました。

 それぞれの癌に合わせた治療も色々経験しました。外科手術、ESD(内視鏡的下層粘膜剥離術)、腹腔鏡手術、放射線と化学治療など。体はあっちこっち傷だらけで、食事や排尿など若干の後遺症はあるものの、幸運にも毎日おいしく食事をいただき、仕事も続けられています。しかし、私よりももっともっと辛く苦しい体験をされた方や今まさに日々癌と戦っている方とそのご家族がたくさんいらっしゃいますが、私が体験した癌の話でも、少しは世の中にお役に立てるのではないかと思いました。

 

備えあれば嬉しいな(憂いなし)

どうして次々と癌が見つかったのか、どんな気持ちだったか、症状は、家族の心境は、病院選び、どんな検査・診察・治療をしたか、費用はどのくらいか、副作用・後遺症は、外来担当医と主治医、看護師とのコミュニケーション、入院生活など、また患者でなければ語れないこともあります。いろいろ思ったことや感じたことや考えたこともたくさんあります。痛くも楽しい、苦しくも明るいエピソードも交えて、当時のメモや記録などを見返しながら、思い出しながら綴っていきたいと思っています。

ブログ初心者なので拙いところなどありますが、備えあれば嬉しいな程度に読んでいただければ、また参考にしていただければ幸いです。よろしくお願いします。

病歴

f:id:motchyboska0125:20180531182212j:plain〈中咽頭癌の放射線治療の設計図〉

 

癌は早期発見が一番とは言うものの

厚生労働省は「がん検診受診率50%超え」を目標にしていますが「2016年国民生活基礎調査」ではがん検診の受診率が50%を超えているのは男性の肺癌51%のみです。もちろん私もその50%以下の中の一人でした。仕事が忙しい、めんどくさい、まだ関係ない、ついつい忘れていた、恥ずかしい、怖いから、、、などなど受診しない理由があるでしょうが、癌はもちろん早期発見が一番です。当たり前ですが、自分の身体への負担はもちろん、家族の負担、費用の問題、仕事への影響、そして何より生命の危機です。

 

私の病歴です。

2011年 大腸癌(S状結腸25cm切除)

2013年 胆のう(腹腔鏡手術・全摘出)

2014年 食道癌×3か所(ESD) 

2015年 肺癌(右肺切除)/食道癌(ESD)/喉頭肉芽腫切除

2016年 前立腺癌(全摘出)

2017年 中咽頭癌(放射線・化学療法)/食道癌(放射線・化学療法)

2018年 中咽頭癌(喉頭蓋前面切除)

 

私は、幸いにして難癌でもなく奇癌でもありませんが、ただこう毎年のように続くと、肉体はもちろん、精神的、金銭的に相当痛く苦しいです。また、家族も相当辛かったと思います。まだまだ、進行形なのですが、、、また癌が重なると後遺症的なものも重なってきて結構辛いものがあります。もう一度、癌はもちろん早期発見が一番です。

 

今日も仕事仲間に

胃カメラ」を勧めました。大変失礼だったのですが、「口臭が以前より増してキツくなった」と伝えました。本人は口臭がある事さえ全く気づいてなかったようです。一昨年、胃ガンで亡くなった知人の生前の口臭と似ていたからなのです。もちろん、その事は伝えませんでしたが、本人は全く気づいてないということが問題なのです。『患者力』というカテゴリーでもこの辺のことは綴ろうと思います。早期発見は『患者力』大いに関係ありです。