癌人体験記

7年間で大腸癌、食道癌、肺癌、前立腺癌、中咽頭癌、5種類の原発性癌に罹った体験記

はじめまして。

 f:id:motchyboska0125:20180526160516j:plain放射線治療最後の日の記念撮影。私のマスクを持って〉

 2人に1人が癌に罹り、その3人に1人が亡くなる今

私は、2011年から2018年(54歳から60歳)の7年間に5種類の癌に罹りました。大腸癌、食道癌×5ヶ所、肺癌、前立腺癌、中咽頭癌×2ヶ所。ほとんど毎年のように癌に罹りました。ギネスブック並みの癌疾患なのではないでしょうか。よくもまあこんなに癌に好かれたものだなぁと、今では、死に対する恐怖を超えて呆れて感心しています。しかも転移ではなく、すべてが原発性の癌。つまり「新規の癌」です。私の仕事ならこんなにも次々と「新規」のクライアントが決まるとうれしいのですが・・・また途中、声帯のポリープ切除、胆のうも摘出しました。

 それぞれの癌に合わせた治療も色々経験しました。外科手術、ESD(内視鏡的下層粘膜剥離術)、腹腔鏡手術、放射線と化学治療など。体はあっちこっち傷だらけで、食事や排尿など若干の後遺症はあるものの、幸運にも毎日おいしく食事をいただき、仕事も続けられています。しかし、私よりももっともっと辛く苦しい体験をされた方や今まさに日々癌と戦っている方とそのご家族がたくさんいらっしゃいますが、私が体験した癌の話でも、少しは世の中にお役に立てるのではないかと思いました。

 

備えあれば嬉しいな(憂いなし)

どうして次々と癌が見つかったのか、どんな気持ちだったか、症状は、家族の心境は、病院選び、どんな検査・診察・治療をしたか、費用はどのくらいか、副作用・後遺症は、外来担当医と主治医、看護師とのコミュニケーション、入院生活など、また患者でなければ語れないこともあります。いろいろ思ったことや感じたことや考えたこともたくさんあります。痛くも楽しい、苦しくも明るいエピソードも交えて、当時のメモや記録などを見返しながら、思い出しながら綴っていきたいと思っています。

ブログ初心者なので拙いところなどありますが、備えあれば嬉しいな程度に読んでいただければ、また参考にしていただければ幸いです。よろしくお願いします。

食道がん その3〈 信頼 〉

先生の心強い言葉 

f:id:motchyboska0125:20180718165526p:plain〈私が書いた3つの癌の図〉

検査後の先生の説明では、「3つの癌は内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)で治療する」と言われました。入院して一度に3箇所の治療をせず、まず一番下にある癌から治療し、様子を見て後日、再入院してその上にある2つの癌を治療することになりました。治療後は、狭窄と言って、治っていくほどに削ったところが引きつって食道が狭くなってきます。食べ物などが通りづらくなり、バルーン拡張術で食道に風船を膨らまして広げると言うことも説明を受けました。食道の長さは、25cm程。切歯(前歯)からだと40cm程。後日の内視鏡検査報告書には、私の3つの癌は、34〜38cm IIc・32〜34cm IIc・28〜30cm IIcとありました。

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www.chugaiigaku.jp/upfile/browse/browse652.pdf より

 

私の下位置にある癌は、幅4cm程で食道を一周ぐるりしているので、かなりの範囲を削るのでしょう。先生は、「食道は、大まかに4層になっていて、癌が3層までで止まっていれば大丈夫。私は3層まで内視鏡で削れます、しかも広い範囲で削れます!」と、不安だらけの私にとても心強い言葉を言ってくれました。外来の先生と入院してからの主治医と手術などの執刀医とそうゆうことがわからない私は、『入院したら他の先生ではなく、この先生が私の担当で、癌を削ってくれるんだ』と思い安心してこの日の診察と説明を終わって入院手続きをし、12月半ば過ぎの寒い中、帰宅しました。不安な気持ちで待っていた妻に症状、治療方法、先生のこと、全てを話しました。妻は「そう」とだけで別段何も言いませんでした。入院は年越しになりました。

 

 やっぱり、怖くなりました

 年が開けても病院から入院日の連絡がありません。日に日に癌が広がっているんじゃないか、3層を破って深くなってるんじゃないか、急に進行するわけがないと思っていても焦ってしまいました。悪い方に考えてしましました。ひとつ治ってもまだあと2つも・・・狭窄、バルーン拡張、私の食道はどうなるんだろう、缶を横に潰して繋げたグニャグニャの管を想像しました。この頃は、夜になると自宅のベランダで何となく星を観るようになりました。

死〉という文字が頭から離れなくなりました。

またまなのですがこの頃、著名人が食道癌で次々と亡くなっていました。『ちょっと前までテレビなどで元気だった人が・・・』先生は、私に大丈夫と言ってくれたものの、やはり怖くなりました。大腸癌からギリギリ助かったのに、また今年、食道癌。しかも3か所も。癌の確率高過ぎます。神様は何かを試しているのか、何かの試練なのか、星を見てはため息ばかりついていました。そんな私を見て、何も言わない妻もきっと辛かったと思います。『いつまでもグチグチジトジト考えてもしょうがない。治療中は、自分はぐっすり寝てるだけだ。先生を信頼し先生に頑張ってもらって、治療が終われば、次は気合いで自分が頑張るしかない。大腸癌の時のあの苦しさを乗り越えた自分じゃないか。術後、狭窄とかどんな苦しい症状になるかわからないけど、そうゆうことも含めて癌と向き合うしかない。』そう思うようになりました。すると、ため息が深呼吸に変わり、ヨッシャ!と言う気持ちになりました。

やっと病院から知らせがあり、1月中旬今度は妻も同行してもらい入院しました。

食道がん その2〈 ファインプレー 〉

f:id:motchyboska0125:20180708154037j:plain〈お遊び中、水を飲む我が家のうさぎ〉

初めての大学病院

私は、紹介していただいた大学病院の消化器内科の先生に診てもらうことになりました。テレビドラマに出てくるようなネクタイをしたカッコいい教授っぽい先生をイメージしていたのですが、その先生は昭和の臭いのする、昔家々を往診して回っていた町医者的な、そんなイメージの先生でした。『この先生は信頼できる』私は、第一印象でそう感じました。まず、前の中核病院で撮った内視鏡カメラの画像を先生と一緒に見ました。先生は「この辺とこの辺とこの辺が、ちょっと怪しいかなぁ。」と言っていましたが、私には全くわかりませんでした。初めて見る私の食道。癌らしきものは何もない、肌色のチューブ管だと思いました。

 

癌の可視化

そして内視鏡カメラ検査をしました。大学病院でも「ぐっすり眠られるようにしてください!」としっかり先生にも看護師さんにも伝えていました。治療室で準備をしてベッドに横になって先生を待っていると先生が入って来て、「じゃぁ、眠たくなる薬を入れますからね。」と点滴のジョイントから注射器で流した後、先生が部屋の電気を切ったところで私はストンと眠りました。

今回の内視鏡カメラ検査は、ヨード染色液を使う検査でした。

食道内の凹凸のない病巣を見つける時、ヨード液を散布すると、染色の濃淡で癌が見つかるのです。正常な粘膜上皮細胞は染まり、癌など異常のある部分は染まらないのです。不染帯の範囲で病変がよりはっきり判るのです。私は約1時間ほど熟睡して目覚めました。今回も、まったく痛くも苦しくもなく楽に内視鏡検査を受けることができました。検査が終わり、先生からの説明がありました。私の食道は一面、赤茶色の錆びた水道管の中の様な画像でした。ただ所々、ヨード液が薄いところがありました。先生は「小さいのがいっぱいありますけど、とりあえず大きな癌が3ヶ所。こことこことこの辺、でも大丈夫ですから。」『小さいのがいっぱい、、、大きいのが3ヶ所も、、、』私は食道癌も大腸と同じようにポリープや腫瘍のようなものを考えていたので、癌が面になって広がっているとは思っていませんでした。〈愁然〉から〈Oh! my god!〉でした。それから先生は時間をかけてわかりやすくしっかりと私に説明してくれました。これがインフォームド・コンセントなんだなと実感しました。

そしてもうひとつ、私は思いました。

消化器内科の医者なら誰でも、私の初めの内視鏡カメラの何も映ってないような画像から、『これはおかしい』と疑うのでしょうが、それでも私を診てくれた中核病院の消化器科の先生は、そこで再検査せず、大学病院での再検査を決めたことが、私への大事なファインプレーだったんだと感謝しました。

インフォームドコンセントについては別カテゴリーでお話しします)

 

食道がん その1〈 発見 〉

胃癌じゃないの?

f:id:motchyboska0125:20180703163741j:plain〈5か所目の食道癌/放射線治療の設計図画像〉

私は、現在までに5か所の食道癌が見つかり、治療をしてきました。初めに食道癌が見つかったのは、中核病院での大腸癌手術から2年後の内視鏡カメラ検査の予約をする際、先生に「何年も胃カメラ検査をしていないんです。」とついでに言ってみたのです。「じゃぁ」ということで、先に胃カメラ、そして一週間後に大腸内視鏡の検査をすることになりました。検査の日私は、看護師にこれまたついでに「ぐっすり寝て、起きないぐらいの睡眠薬を使ってください!」と言いました。すると先生と相談したのでしょうか、点滴をして、治療室に入り、ベッドに寝て筋肉注射を肩にして、マウスピースをつけて…その後は覚えていませんでした。約1時間ほど熟睡して目覚めると、先生から「来週、大腸の検査が終わって一緒に説明しましょう。」ということでその日はそのまま帰りました。痛くも苦しくもなく楽に検査が受けられました。検査前にしっかり自分の意見を伝えることが大事だと思いました。一週間後、大腸の内視鏡検査をしました。

 

【愁然】という言葉を知りました

胃カメラの時と同じようにぐっすり寝ての大腸内視鏡カメラ検査でした。(下剤など検査準備等の話はここでは省きます)目覚めると、病室のベッドでした。病院によって違うのですが、この病院では、大腸内視鏡検査の際にポリープが見つかりその場で切除をした場合、そのポリープの大きさにもよりますが、止血のため一泊二日程の入院が前提になっていました。私はこの時、大腸に小豆大程のポリープが見つかり入院になりました。(昨年の大腸癌の手術後の経過は良好)病室で寝ていると消化器内科の先生が来ました。そして私に「大腸は問題ないんだけど、食道がちょっと怪んだけど、もちろんここでもちゃんと検査できるんだけど、大学病院でもう一度ちゃんと診てもらいましょう。」という胃カメラの検査結果でした。私はびっくりしました。呆然としました。何の症状もなかったのに。正直『何で食道なの?もしかして食道癌!?胃癌になるんだったらわかるんだけど・・・!?』と思いました。私は若い頃から相当、お酒を飲んでいました。しかも毎日。酒の肴は〈仕事の話〉ばかりでろくに食べずにいわゆる〈空酒〉でした。だから食道に疾患とは意外でした。私は『今年も、もしかして・・・』という気持ちで、画像とカルテと紹介状を持って、しかも今度は大学病院に行くことになりました。〈愁然〉という言葉がピッタリでした。しかし後日、この時の消化器の先生のファインプレーに感謝することになるのです。

 

 

大腸がん その3〈 地域医療連携2 〉

初めての内視鏡カメラ

f:id:motchyboska0125:20180604191232j:plain〈うさぎです〉

午後の仕事を済まして、私はまたその病院に戻りました。待合室には患者さんは誰もいなく、病院は私を待っていたかのようでした。ベテラン風の優しい看護師さんに促され診察室に入りました。先生から「普通なら2リットルの下剤を飲んで腸をキレイにしてからカメラを入れるんですが、多分下剤を飲むともどしてしまうか、腸が破裂するかもしれません。いきなりカメラを入れます。」と言われ、すぐに診察ベッドに寝かされてズボンを下ろし、パンツも下ろし、恐怖と羞恥の私にベテラン風の優しい看護師さんはにっこり笑顔で、私の腰にタオルをかけてくれました。まずは触診でした。指を肛門に入れられました。思わず私は変な声を出してしまいました。直腸を調べたんだと思います。看護師さんは、笑顔で私の肩をさすってくれました。そして次にカメラが入ってきました。先生が「モニターを観れますか?」と言われましたが、私はさっきよりももっと変な声を出し続けて、残念ながらモニターを観る余裕はありませんでした。「おかしいなぁ、あるはずなんだけど・・・」と先生の呟きが聞こえました。「大丈夫ですか、もうすぐ終わりますからね、我慢してください、もうすぐですから。」と先生は私に言いながらカメラは奥に入っていく気がしました。「あった!やっぱりあった!モニター見れますか!」先生の声にびっくりし、私は頑張ってモニターを観ました。確かにありました!病院の待合室のあの大腸がんのポスターとまったく同じ、大きな腫瘍らしきものがドンと腸を塞いでいました。生体検査に出すため細胞を採り、内視鏡カメラの検査は終わりました。もう恐怖心はありませんでしたが、羞恥心が多少残りました。

 

病院紹介

先生は〈ガン〉とは言いませんでした。生体検査の結果が一週間程かかると言われましたが、すぐに入院しなければいけないと言われ、3つの中核病院を挙げました。私はその中から、自宅から近い病院を選びました。すると先生自ら、その場でその病院に電話され、「○○先生お願いします」と先生を名指しし、私に「明日、行けますか?」「明後日なら行けます、、、」と応え、トントントンと先生が予約を取ってくれました。その間、ベテラン看護師は、片づけながらずっと優しい笑顔でした。画像とカルテと紹介状を持って自宅に帰りました。恐怖と羞恥の一日のあらましを妻に告白しました。

次回、入院、治療のお話を

 

大腸がん その2〈 地域医療連携 〉

人体実験というと大袈裟ですが

家のすぐ近くに中核病院があるのは知っていましたが、私はそこへは行かずに敢えて、同じ地域内にある小さな病院を探すことにしました。いわゆる『かかりつけ医』的な病院です。紹介状もなく、いきなり大きな病院に行って、安いとは言えない初診料を払い、結構待たされて、たまたまその日担当の外来の先生に診てもらい『おばあちゃん、風邪ですね、薬出しときましょ。』みたいな話を聞いたことがあります。当時の私の症状では即入院で大きな手術になるだろうと素人ながら思っていたので、直接、中核病院に行ってもよかったのですが、『地域医療連携』というものをどうせなら私の身体でちょっと試してみようと思ったのです。小さな病院がここでは治療できないと判断した患者をどんな病院にバトンタッチするのか、私はHPを見てとりあえず、内視鏡カメラがある病院、誠実そうな病院、信頼できそうな病院、怖くなさそうな先生の病院など、独断と偏見で選び、近くの胃腸肛門科のクリニックに決めました。

 

初めての診察

病院の待合室にいきなり大腸のポスターが目に入りました。大きな腫瘍が大腸を塞いでいました。私もこんな風になっているのかなと怯えつつ、問診表を書きました。さほど待つこともなく、診察室に呼ばれました。感じのいい40代の先生とベテラン風の優しそうな看護師さんがいました。問診と診察ベッドに横になっての指診で、診察はすぐに終わりました。『えッ!これでもう終わり!?』と思っていたら先生から「午前中にちょっとした手術があるので、午後からまた来てもらえますか、内視鏡カメラで診たいので時間はありますか?」と言われました。その日私は、午後から大事な仕事が入っていたので、「夕方前になりますが、、、」「待ってます。」ということで、私は病院を出ました。

大腸がん その1〈 バナナ1本分になるまで 〉

  f:id:motchyboska0125:20180529191721j:plain  私が初めて癌になったのは

2011年、54歳の時でした。 開腹でS状結腸を25cm切りました。腸閉塞だったのですぐには手術ができず、半月以上の絶食で時間をかけ腸内を綺麗にしました。つまりワインのコルク栓のように大きな腫瘍が腸に栓をしていたので破裂寸前だったのです。破れると腹膜炎を起こして死んでいたかもしれません。ぎりぎりセーフの入院だったのです。どうしてそんなになるまで病院に行かなかったのか

 

症状と経緯     

1年程前、会社の健康診断があり、大腸の再検査になっていましたが、何の症状もなく仕事も忙しく、病院に行きませんでした。それからまた半年程経った頃から、便が細く下痢気味になり血便が出始めました。血便はケチャップのようでした。キレイな血ではなかったので痔ではないとわかりました。左の下腹がキリキリとした痛みもありましたが、元来、病院嫌いの私ですから『これくらいのことは、何でもない』ぐらいに軽視していました。するとある日、風呂上りに下腹を何となくさすっているとポコッとしたコブのような膨らみを感じました。それから食事をするたびにキリキリとした痛みが激しくなり、たちまちコブも2つになりました。便秘と下痢の繰り返しでした。

 

〈当時のメモより〉

「お腹が痛くて何もできない。本当にヤバいかもしれない。尿を出すときにも激痛が走る。痛みはあるが腹は減る。食べるとすぐに痛みがありコブが腫れていく。一日どれだけトイレに入ればいいのか。」

f:id:motchyboska0125:20180608021853j:plain   f:id:motchyboska0125:20180608021809j:plain 〈公園の公衆トイレ 親子で連れションだ!〉

 当時、仕事がとてつもなく忙しかったのですが、病院に行く時間がないわけでありませんでした。が、『この症状だときっと何か大きな病気だろうなぁ、怖いな。仕事はどうしよう、休めない。入院・手術はいくらかかるんだろう、お金がない。』などと、ズルズルしているうちに、日に日に左下腹のコブは大きくなり、小ぶりのバナナ1本ほどまでに腫れていました。痛みで5分も歩けず、蹲るようになりました。熱も39℃ほどになり、やっと症状の事や病院を調べてみようという気になりました。でもこの時点ではまだ、症状の事は妻には話していませんでした。

 

大きな勘違いでした

大腸の事を調べて“上行結腸・横行結腸・下行結腸・S状結腸 ”というコトバを知りました。色々調べて行くと「これはきっと癌だな!」と確信しました。何も知らない私は、「このバナナ1本のコブは大きな腫瘍なんだ!」と大きな勘違いもしていました。でも必死でした、死ぬほど悩みました。腫瘍が腸の栓となり、そこにウンチが押し寄せて来てバナナ1本分腫れていたのです。今ではお笑い話ですが。費用の事も何となくですが、“高額医療費控除”とか“限度額適用認定証”という制度がある事もとりあえず知りました。

 

よし、病院へ行こう!

は、「大腸がん」その2で。                                                   

はじめまして。

 f:id:motchyboska0125:20180526160516j:plain放射線治療最後の日の記念撮影。私のマスクを持って〉

 2人に1人が癌に罹り、その3人に1人が亡くなる今

私は、2011年から2018年(54歳から60歳)の7年間に5種類の癌に罹りました。大腸癌、食道癌×5ヶ所、肺癌、前立腺癌、中咽頭癌×2ヶ所。ほとんど毎年のように癌に罹りました。ギネスブック並みの癌疾患なのではないでしょうか。よくもまあこんなに癌に好かれたものだなぁと、今では、死に対する恐怖を超えて呆れて感心しています。しかも転移ではなく、すべてが原発性の癌。つまり「新規の癌」です。私の仕事ならこんなにも次々と「新規」のクライアントが決まるとうれしいのですが・・・また途中、声帯のポリープ切除、胆のうも摘出しました。

 それぞれの癌に合わせた治療も色々経験しました。外科手術、ESD(内視鏡的下層粘膜剥離術)、腹腔鏡手術、放射線と化学治療など。体はあっちこっち傷だらけで、食事や排尿など若干の後遺症はあるものの、幸運にも毎日おいしく食事をいただき、仕事も続けられています。しかし、私よりももっともっと辛く苦しい体験をされた方や今まさに日々癌と戦っている方とそのご家族がたくさんいらっしゃいますが、私が体験した癌の話でも、少しは世の中にお役に立てるのではないかと思いました。

 

備えあれば嬉しいな(憂いなし)

どうして次々と癌が見つかったのか、どんな気持ちだったか、症状は、家族の心境は、病院選び、どんな検査・診察・治療をしたか、費用はどのくらいか、副作用・後遺症は、外来担当医と主治医、看護師とのコミュニケーション、入院生活など、また患者でなければ語れないこともあります。いろいろ思ったことや感じたことや考えたこともたくさんあります。痛くも楽しい、苦しくも明るいエピソードも交えて、当時のメモや記録などを見返しながら、思い出しながら綴っていきたいと思っています。

ブログ初心者なので拙いところなどありますが、備えあれば嬉しいな程度に読んでいただければ、また参考にしていただければ幸いです。よろしくお願いします。